内部ライオンズの歴史

☆昭和46年 

桜井五郎氏(故人)により内部地区に、メガというチームが誕生。

当時は低学年の生徒が多く、ソフトからやっと野球に変わったばかりなので技術や試合方法やマナーを他球団から一生懸命勉強した時代であった

※その当時、橋北・三重が強く、三重のマナーをみならえを合言葉にしていた

 

 

☆昭和50年~52年

現在の監督である水谷力氏がライオンの如く強くをモットーの「内部ライオンズ」というチーム名にし、同時にユニフォームも一新した。

 新しいこのチームは、52年優勝する強力なチームとなった。以降多くの子供たちが内部ライオンズで学び、数々の成績を収めていくこととなる

(過去の成績一覧)

 

 

☆昭和53年 ~  焼山グラウンド完成

 昭和49年~52年までは内部小学校で練習をしていたがチームが強くなり、優勝・準優勝が続くと練習でも試合でもホームランを打ち小学校の窓ガラスを割り、ガラス代が何万もかかり大変であった。同時にチームにもまとまりができ皆が広いグラウンドで野球をしたいと願うようになる。

 

その様な状況の中、14軒の地主様より土地の提供を頂き、52年・53年・54年の全OBや御父兄の手でブルドーザーで土地を整備し、多くの地域の方の応援で水道をはじめ様々な設備を準備していただき、念願の焼山グラウンドが完成した。

 

☆昭和59年 ~ 

 昭和59年、教育委員会より学校開放により内部東小学校で練習ができるようになり、長年使用していた焼山グラウンドを保護者者全員の手で整備し、地主様に返却した。広々としたグラウンドで練習に励むことが出来るようになった。

 

☆平成 ~

 ホームグラウンドを内部東小学校に置き年々暑さ厳しくなる夏も雪のちらつく寒い冬も練習に励み、選手の多い年もあればそうでない年もあったが、それでも多くの内部ライオンズ選手が誕生し素晴らしい成績を残している。

  平成14年春季大会優勝

それは野球だけに限らず「一つのことに情熱を燃やす若者を育てたい」という水谷監督の指導の下、冬シーズン体力つくりに懸命に練習をする選手達は駅伝大会においても素晴らしい結果を出し、選手ひとりひとりの大きな自信、目標に繋がっていった。

(過去の成績一覧) 

 

また設立以来、甲子園の星として内部ライオンズから育った選手は9名・13回の出場をはたし、現在も活躍中である。

 

平成26年・27年度は、主力選手はじめ全体を通して非常にパワーがあり、まとまりのある良いチームとなっており

父母会の一致団結した協力体制はなにものにも代えがたい選手の大きな支えとなっている

 

        

                     内部ライオンズには42年という歴史がある

          しかし今はまだ歴史の通過点に過ぎない

     

様々な大会での成績をみてもわかるように選手・指導者・父兄・地域の信頼関係が

  創立以来よき伝統として引き継がれ内部ライオンズの歴史をつないでいる 

 これからも元気・勇気・やる気・感謝の気持ちを忘れずチームがひとつになって

      大きな目標に向かって努力することを惜しまず進んでいこう

        

                     ~ OB・OB父母より ~